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もりりんの子育て日記


by powerfulmoririn

生きる

母の実家は石巻だ。
震災の爪痕が残る石巻に、母と娘たちと行ってきた。

私の年の離れた従兄は、津波にのまれ助かった人である。
その凄まじい恐怖の体験を、本人の口から直接聞いた。
私は、強い衝撃で打ちのめされ、まだその状態から戻れていない。


その日、従兄はJRに乗っていた。
結婚式に出席するため、親戚のおじいさんとおばあさんを連れていた。
そのJRの中で地震に遭った。
乗客は、指定避難場所である学校の体育館に避難することとなる。

体育館では、保護者の迎えを待つ子供たちがいた。
父や母が迎えに来て帰る子供たちを体育館の隅で見ていた。
「俺達はどこにいればいいんだろうな・・」
とステージ側に向かって歩いているその時、
誰かが 「津波だーっ」と叫んだ。
振り向くと、そこには雪で覆われた真っ白なグラウンドがあり、
その上を真っ黒な水が自動車さえも巻き込み、そして渦巻きながら
こちらに向かっていた。

「うわー 逃げろー」と走ろうとしたその足は、
たった・・・たった二歩しか進まなかった。
強い衝撃と共に、彼は黒い水にのまれた。
もがいていたはずだ。苦しかったはずだ。
「俺は死ぬ。ポケットには何も入っていない。
 身元不明だな・・。」
そんな事を思い、着ていたコートのファスナーを下げた時、
体が、ぶわーっと浮いた。
コートの中に水が溜まっていて体を沈めていたのではないかと彼は言う。
とにかく浮いた。そして、泳いだ。
気温はマイナス5度。
近くに浮いていた親戚のおばあさんを肩につかまらせ、30分泳いだ。
4mの深さの黒い水を泳ぎながら、おじいさんを探した。
どうやら階段近くにいた彼は、津波に押され上の階に上がったらしい。
自分を見下ろしている姿が見える。
「助かった。」・・・そう思うのも束の間、ここから地獄は始まった。

マットが流れてきた。凍える手でそれにしがみ付くのは容易ではないが
とりあえずそれに頼ることにした。
近くでは父親らしき人が子供をマットに乗せた。そして力尽き・・・沈んだ。
幕につかまり、息絶えている人もいる。
人間てこんな声が出せるんだ・・・そう感じたという今も耳に残る
「助けてー」という叫び声。子供の叫び声は特に残る。
映画やドラマで聞くような叫び声とはまったく違う。
本当に地獄だった。

消防団が駆けつけた時、おばあさんを病院に運んでもらった。
あと30分遅れたら、命はなかったという。
後にわかった事だか、
名前を聞かれても意識がもうろうとし答えられなかったおばあさんは、
「身元不明、推定年齢90才」と書かれたバンドを足にはめられていた。
実際は、76歳だというのに。

生きている人はどうにか教室に避難できたが、
おじいさんの姿が見えない。探し回るが見つからない。
無事を祈りつつ、彼は恐怖の一夜をそこで過ごす事になる。
ずぶ濡れになった体を、容赦なく夜の寒さが突き刺す。
寒さとのたたかい。震えが止まらない。しかし、それを通り越すと
足元から温かい感覚が体を包みだすのだという。
眠い・・・今度は睡魔とのたたかいだ。
眠ってしまえばすべてがおしまいである。
眠らないようにずっと教室の端に立っていた。何度も前のめりになる。
隣で震えていた人が静かになった。
しばらくすると鼾が聞こえた。「あぁ・・・」と胸が詰まる。
数十分後、鼾が消えていく。
その現象を一晩でいくつ耳にしたのだろう。

朝になると、すぐ近くにおじいさんはうずくまっていた。
生きていた。

数日後には、体じゅうに発疹がみられた。
黒い水を飲みこんだとき、いろいろをなものを一緒に飲み込んだからだ。

生死を分けるもの。 それは何なのだろう。
奥さんも、息子も病気で亡くしていた。
「でも、俺は黒い水にのまれても、地獄を見て戻ってきた。」
なぜ生かされたんだろう。
俺の肩で叫んでいたおばあさんが、もし・・息絶えていたなら・・
俺は、その声を耳に残し生きていかなければならなかったのか。
さまざまな思いが彼の中で渦巻いて、そしてそれは消えることはない。

標高56.4mの日和山から見下ろした石巻の海岸に、瓦礫はもうなかった。
しかし、その場所で私のもうひとりの従妹は夫をなくした。
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by powerfulmoririn | 2013-05-07 08:01 | 考える